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『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 (10)





『マキアヴェッリ語録』 (10)





『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 新潮文庫
平成4年11月25日 発行


目次
第1部 君主編
第2部 国家編
第3部 人間編






マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)
は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が
人口に膾炙しています。


その思想を端的に表現する言葉は、
「目的は手段を正当化する」
です。


目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解する
ことが多いですね。


実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、
風説の流布でも経験することです。


福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布
に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、
拡大していきます。容易に訂正されることはありません。



話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなもので
あったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っている
ことの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア
(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾ける
ことにしました。


マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで
生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀
にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。


ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画

ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画 Wikipedia から
 


塩野七生(しおの・ななみ)さんは、「まえがき」に代えて
「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説
ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明
しています。


尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を
「抜粋」しました。




 この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の

 要約ではありません。抜粋です。

 なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、

 ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを

 御説明したいと思います。

 第一の理由は、次のことです。

 彼が、作品を遺したということです。


 マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証[あか]し、

 であったのです。


 マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した

 思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日

 まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、

 現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でも

 あるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身

 からして、釈然としないにちがいありません。


 抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではない

 マキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わって

 ほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの

 抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われない

 でしょう。


 しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功した

 としても、それだけでは、私の目的は完全に達成された

 とはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つ

 ものを書くのが自分の目的だ、と言っています。 

 

  (前掲書 「読者に」から PP.3-5、14)




マキアヴェッリの名言をご覧ください。


第1部 君主編



 優れた指揮官ならば、次のことを実行しなければ

 ならない。

 第一は、敵方が想像すらもできないような新手の

 策を考えだすこと。

 第二は、敵将が考えるであろう策に対して、

 それを見破り、それが無駄[むだ]に終わるよう

 備えを完了しておくこと、である。


                    ―― 『政略論』 ――

                              (P.120)

         (028-1-0-000-505)
 



 


 敵の計略を見ぬくことほど、指揮官にとって重要な

 ことはない。

 だが、このことほど優れた資質を要求される能力も

 ないのだから、これに恵まれた指揮官は、

 いかに賞賛されたとしてもされすぎることはないの

 である。

 そして、敵の行動を予知するよりも、敵の計略を

 見ぬくことのほうが、容易である場合が多い。

 なぜなら、行動ともなると、遠くに離れていては予知

 など不可能なものだが、計略の予知ならば、

 離れているほうがかえって有利なものだからである。

  
                    ―― 『政略論』 ――

                              (PP.120-121)

          (029-1-0-000-506)
 






 金銭で傭[やと]うことによって成り立つ傭兵[ようへい]

 制度が、なぜ役立たないか、の問題だが、その理由は、

 この種の兵士たちを掌握できる基盤が、支払われる

 給金以外にないというところにある。

 これでは、彼れの忠誠を期待するには少なすぎる。

 彼らがその程度のことで、傭い主のために死まで

 いとわないほど働くと期待するほうが、甘いのだ。

 だから、指揮官に心酔し、その下で敵に勇敢に立ち

 向かうほどの戦闘精神は、自前の兵士にしか期待

 できない。 


                    ―― 『政略論』 ――

                              (P.121)
                              
          (030-1-0-000-507)
 








ポイント

「備えあれば憂いなし」ということわざ通りですね。

あるいは、『孫子の兵法』で有名な言葉で、
「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆[あや]う
からず」と通底する内容です。


マキアヴェッリ語録の内容は、優れた戦略論の
総集編でもあります。





キーセンテンス

指揮官に心酔し、その下で敵に勇敢に立ち向かう
ほどの戦闘精神は、自前の兵士にしか期待できない



フランスの外人部隊が有名ですね。
グリーンベレーにサングラスをかけた、一見すると
クールな兵士が映画に登場することがあります。
実際の姿かどうかは分かりません。


マキアヴェッリの言葉に従えば、外人部隊は「傭兵」
なので、フランスのために敵に立ち向かうほどの戦闘
精神は期待できないことになります。


実際はどうなのでしょうか?


調べてみました。データが見つかることは、あまり期待
していませんでした。


検索してみたところ、フランス外人部隊に入隊した日本人
の評判についてのレポートが見つかりました。
少々長いですが、抜粋してお伝えします。




 フランス外人部隊と聞けば、さぞ精強で屈強な猛者

 が集まる集団と誰もが思うだろう。

 たしかに各国から集まった命知らずの男たちが集う

 精鋭の軍事組織であることはいまも昔も変わりはない。

 だが、このフランス外人部隊にも時代を経るに連れ、

 緩やかながら変化が起こっているという。

 フランス外人部隊に在籍している日本人・A氏(30代)は

 その実情を次のように明かす。

 フランス外人部隊では、入隊時にフランス語が話せなく

 ても入隊試験はクリアできるという。

 事実、入隊試験は日本語でも実施されているのだ。

 その試験内容は日本の公務員試験同様、数的推理、

 判断推理、空間把握や、地図の把握など基礎的知能

 を問うものだ。

 日本人なら中学校卒業ないし高校1学年修了程度なら、

 まず合格できるレベルだそうだ。

 意外にも入隊へのハードルは低い。


 合格し入隊が決まると、いよいよ“精強部隊”への仲間入り。

 巷で言われる“地獄の訓練”がはじまる。

 この最初の訓練時に脱落する者がもっとも多いという。

 しかし、日本人が脱落する理由は、フランス外人部隊で

 頑張っている現役の日本人兵士をがっかりさせるにあまり

 あるものばかりである。

 「自分が除隊を申し出た日本人兵の通訳を担当した者の

 なかには、『親の家業を継ぐことが決まった』『すぐに戦場に

 行きたいのに、なかなか機会がない』『雑用ばかりで本物の

 男になれなさそうだから』などなど、ナメた理由ばかりです。

 日本人の評判が悪くなるのも頷けますよ」(同)


 「訓練や任務についていけないなら、そう正直に話してくれれ

 ばいいんです。それをああだこうだ理屈を並べ立てて……。

 同僚の外国人兵からも、『やっぱり日本は恵まれた国だ』と

 バカにされています」


 いくつかの紛争国に実戦参加経験もあるA氏は、

 「軍隊などどこの国でも日常は雑用ばかり。草むしり、掃除、

 体力練成が続く。自分も実戦に参加するまでは本当にこれが

 実戦に役立つのかといつも疑問を抱えていた。

 しかし最初の実戦に参加してその考えは一変しました。

 雑用ひとつこなせない人間は実戦では何の役にも立たないと」

 (同)


 こう話す彼の目が静かに鋭く光った。フランス外人部隊が、

 “外資系企業”への就職と同列に扱われる日本の実情は、

 フランス外人部隊の現実とはあまりにもかけ離れている。

 

  (日本人は馬鹿にされている?
   フランス外人部隊の実情を告白
 から)




この話は、1例にすぎないと思いたいですが・・・
戦場に向かうには、生易しい気持ちでは、
到底、兵士として持続できるはずがありません。
まして、その前段階で除隊するくらいなら、
最初から入隊してはならない、と思いました。


私は、戦争反対の立場ですし、安倍首相の憲法第九条
改正には納得できません。




日本人の除隊理由に他の隊員もびっくり?

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『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 (09)





『マキアヴェッリ語録』 (09)





『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 新潮文庫
平成4年11月25日 発行


目次
第1部 君主編
第2部 国家編
第3部 人間編






マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)
は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が
人口に膾炙しています。


その思想を端的に表現する言葉は、
「目的は手段を正当化する」
です。


目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解する
ことが多いですね。


実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、
風説の流布でも経験することです。


福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布
に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、
拡大していきます。容易に訂正されることはありません。



話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなもので
あったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っている
ことの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア
(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾ける
ことにしました。


マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで
生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀
にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。


ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画

ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画 Wikipedia から
 


塩野七生(しおの・ななみ)さんは、「まえがき」に代えて
「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説
ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明
しています。


尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を
「抜粋」しました。




 この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の

 要約ではありません。抜粋です。

 なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、

 ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを

 御説明したいと思います。

 第一の理由は、次のことです。

 彼が、作品を遺したということです。


 マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証[あか]し、

 であったのです。


 マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した

 思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日

 まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、

 現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でも

 あるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身

 からして、釈然としないにちがいありません。


 抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではない

 マキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わって

 ほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの

 抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われない

 でしょう。


 しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功した

 としても、それだけでは、私の目的は完全に達成された

 とはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つ

 ものを書くのが自分の目的だ、と言っています。 

 

  (前掲書 「読者に」から PP.3-5、14)




マキアヴェッリの名言をご覧ください。


第1部 君主編



 君主は、自らの権威を傷つけるおそれのある妥協は、

 絶対にすべきではない。たとえそれを耐えぬく自信が

 あったとしても、この種の妥協は絶対にしてはならない。

 なぜならほとんど常に、譲歩に譲歩を重ねるよりも、

 思いきって立ち向かっていったほうが、たとえ失敗に

 終わったとしても、はるかに良い結果を生むことになる

 からである。

 もしも、正面衝突を回避したい一心で譲歩策をとったと

 しても、結局は回避などできないものだからだ。

 なにしろ、譲歩に譲歩を重ねたところで相手は満足する

 わけでもなく、それどころか相手の敵意は、あなたへの

 敬意を失ったことによって、より露骨になり、より多くを

 奪ってやろうと思うようになるのがオチなのだ。


                    ―― 『政略論』 ――

                              (PP.108-109)

         (025-1-0-000-502)
 



 


 指導者ならば誰でも、次のことは心しておかねばならない。

 それは、個人でも国家でも同じだが、相手を絶望と怒りに

 駆りたてるほど痛めつけてはならないということだ。

 徹底的に痛めつけられたと感じた者は、もはや他に道なし

 という想[おも]いで、やみくもな反撃や復讐[ふくしゅう]に

 出るものだからである。

  
                    ―― 『政略論』 ――

                              (P.110)

          (026-1-0-000-503)
 






 元老院議員の中には、戦争経験豊かな人物は多かった。

 だが、現場にいないことと、それゆえ作戦実施に際して

 必要な種々の小さな、しかし生きた情報に接しられない

 立場にあっては、危険はやはりまぬがれない。

 それゆえに、古代ローマでは、軍を率いる指揮官は自らの

 考えるままに行動し、勝利の栄誉も、彼個人のものである

 ようにしたのであった。


                    ―― 『政略論』 ――

                              (PP.113-114)
                              
          (027-1-0-000-504)
 








ポイント

人間を「性善説」と「性悪説」に基いて、分けることがあります。
さしずめ、マキアヴェッリは[性悪説」に基づいて、人間観察を
している、と考えています。


君主(指導者、リーダー)は、「性悪説」に則り、国民や部下を
扱っていかないとならない、ということになります。


ある意味では、「信賞必罰」で臨む必要がある、ということです。
成果を挙げたものにはカネを、信用、信頼できる者には地位を
与えるのです。


成果を挙げられないものにはカネを与えず、信用、信頼でき
ない者は放逐することになります。


そのように、君主には「非情さ」が必要である、と教えている、
と考えています。


ただし、相手を追いつめてはなりません。
必ず、逃げ道を作っておいてやる必要はあります。
手痛い報復や逆襲に遭わないためです。


「窮鼠猫を噛む」の例え通り、開き直られると怖いもの知らず
となり、非常に危険だからです。







キーセンテンス

現場にいないことと、それゆえ作戦実施に際して
必要な種々の小さな、しかし生きた情報に接し
られない立場にあっては、危険はやはりまぬが
れない。



『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』
野中郁次郎他 中公文庫 1991年8月20日 初版発行
に日本軍の作戦の失敗の本質が語られています。


マキアヴェッリが語った内容と酷似しています。


この書の中から、一例を挙げます。
「ノモンハン事件」についての分析です。


 第二三師団の攻撃の場合は、ソ連軍に比較して火砲数、

 とくに弾薬量が少なく、また火砲自体の性能も劣っていた。

 さらに敵情の捜索、観測を十分に行なわずに実施した

 攻撃が失敗するのは当然であった。

 第一次世界大戦において見られたような本格的近代戦の

 実践的体験を持たない日本軍は、物力の意味を理解して

 いなかった。弱体もしくは少数の戦車、航空兵力、砲兵力

 をもって、ソ連軍が構築した近代式陣地を突破しようとした

 のは本来無理であり、結局攻撃部隊はソ連軍砲兵の猛射

 を浴びて大損害を出し、攻撃は停頓した。
 

  (前掲書 P.57)




 ノモンハン事件は日本軍に近代戦の実態を余すところなく

 示したが、大兵力、大火力、大物量主義をとる敵に対して、

 日本軍はなすすべを知らず、敵情不明のまま用兵規模の

 測定を誤り、いたずらに後手に回って兵力逐次使用の誤り

 を繰り返した。情報機関の欠陥と過度の精神主義により、

 敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。
 

  (前掲書 P.68)







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『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 (08)





『マキアヴェッリ語録』 (08)





『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 新潮文庫
平成4年11月25日 発行


目次
第1部 君主編
第2部 国家編
第3部 人間編






マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)
は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が
人口に膾炙しています。


その思想を端的に表現する言葉は、
「目的は手段を正当化する」
です。


目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解する
ことが多いですね。


実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、
風説の流布でも経験することです。


福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布
に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、
拡大していきます。容易に訂正されることはありません。



話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなもので
あったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っている
ことの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア
(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾ける
ことにしました。


マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで
生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀
にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。


ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画

ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画 Wikipedia から
 


塩野七生(しおの・ななみ)さんは、「まえがき」に代えて
「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説
ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明
しています。


尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を
「抜粋」しました。




 この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の

 要約ではありません。抜粋です。

 なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、

 ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを

 御説明したいと思います。

 第一の理由は、次のことです。

 彼が、作品を遺したということです。


 マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証[あか]し、

 であったのです。


 マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した

 思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日

 まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、

 現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でも

 あるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身

 からして、釈然としないにちがいありません。


 抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではない

 マキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わって

 ほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの

 抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われない

 でしょう。


 しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功した

 としても、それだけでは、私の目的は完全に達成された

 とはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つ

 ものを書くのが自分の目的だ、と言っています。 

 

  (前掲書 「読者に」から PP.3-5、14)




マキアヴェッリの名言をご覧ください。


第1部 君主編



 次のことは明言しておきたい。

 すなわち、危険というものは、それがいまだ芽であるうちに

 正確に実体を把握[はあく]することは、言うはやさしいが、

 行うとなると大変にむずかしいということである。

 それゆえはじめのうちは、あわてて対策に走るよりもじっくり

 と時間かせぎをするほうをすすめたい。

 なぜなら、時間かせぎをしているうちに、もしかしたら自然に

 消滅するかもしれないし、でなければ少なくとも、危険の増大

 をずっと後に引きのばすことは、可能かもしれないからである。

 いずれの場合でも、君主ははっきり眼[め]を見開いている

 必要がある。

 情勢分析を誤ってはならないし、対策の選択を誤ることも

 許されないし、対策実施のときも誤ってはならないのだ。

 植木に水をやりすぎて枯らしてしまうようなことは、あってはなら

 ないのである。

 しかし、こちら側の準備が万端と思うやいなや、迷うことなく

 断固として反撃に打って出るべきである。

 反対に、その自信がないときは、まだしばらくは事の成行きに

 まかせるほうが良策と思う。


                    ―― 『政略論』 ――

                              (PP.104-105)

         (022-1-0-000-499)
 



 


 君主たる者、もしも偉大なことを為したいと思うならば、

 人をたぶらかす技[わざ]、つまり権謀術数を習得する必要が

 ある。


 ローマもまた、他にライヴァルがいないほどに強大になるまで

 は、情況の変化に合わせて、または自らすすんで、有効と

 思われるかぎりのあらゆる術策を活用したものであった。

  
                    ―― 『政略論』 ――

                              (P.106)

          (023-1-0-000-500)
 






 ローマは、建国の当初とていまだ弱体な国家であった時代

 から、権謀術数の必要を知っていた。

 まして小さく弱い現状から少しでも上昇しようと思う者に

 とっては、このことは必要欠くべからざる配慮と思う。

 ただ、その活用に際しては、ローマ人がしたように、

 可能なかぎり水面下でなされるべきであろう。

 そうすれば、ローマ人が成功したように、このような汚い

 ことをやったあげくに浴びる非難から、まぬがれることが

 できるからである。


                    ―― 『政略論』 ――

                              (P.107)
                              
          (024-1-0-000-501)
 








ポイント

権謀術数を修得する必要がある、ということです。


ここで、権謀術数とは何かについて、確認しておきましょう。


 権謀術数(けんぼうじゅっすう)とは、主に社会や組織などの

 集団において物事を利己的な方向へ導き、自身の地位や

 評価を高めるために取られる手段や技法、およびそれが

 用いられるさまを表す総称。
 

  (権謀術数 Wikipedia から)


何か、汚い、悪いイメージしか浮かびませんね。
ですが、君主(リーダー)つまり、上に立つ者は
きれい事だけでは、支配することはできない、
ということです。


常にそうだということではありませんが、
正攻法だけでは勝負に勝てません。


時には、邪道と思われても、奇襲作戦を採ること
も考えなくてはなりません。


これには2つの意味がある、と考えています。
1つ目は、相手を撹乱したり、だまし討ちをする
ためです。


もう1つは、味方に、いつも同じ作戦ではマンネリ化
するため、これを防ぐためです。




キーセンテンス

情勢分析を誤ってはならないし、対策の選択を誤ることも
許されないし、対策実施のときも誤ってはならないのだ。



いかにして確度の高い情報を多く集め、集めた情報を
的確に分析するかにかかっている、と言っても過言では
ありません。


「孫子の兵法」にも、同様なことが書かれていますね。


「彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」
(『謀攻篇』)







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『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 (07)





『マキアヴェッリ語録』 (07)





『マキアヴェッリ語録』 塩野七生 新潮文庫
平成4年11月25日 発行


目次
第1部 君主編
第2部 国家編
第3部 人間編






マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)
は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が
人口に膾炙しています。


その思想を端的に表現する言葉は、
「目的は手段を正当化する」
です。


目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解する
ことが多いですね。


実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、
風説の流布でも経験することです。


福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布
に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、
拡大していきます。容易に訂正されることはありません。



話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなもので
あったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っている
ことの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア
(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾ける
ことにしました。


マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで
生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀
にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。


ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画

ニッコロ・マキャヴェッリの肖像画 Wikipedia から
 


塩野七生(しおの・ななみ)さんは、「まえがき」に代えて
「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説
ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明
しています。


尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を
「抜粋」しました。




 この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の

 要約ではありません。抜粋です。

 なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、

 ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを

 御説明したいと思います。

 第一の理由は、次のことです。

 彼が、作品を遺したということです。


 マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証[あか]し、

 であったのです。


 マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した

 思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日

 まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、

 現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でも

 あるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身

 からして、釈然としないにちがいありません。


 抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではない

 マキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わって

 ほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの

 抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われない

 でしょう。


 しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功した

 としても、それだけでは、私の目的は完全に達成された

 とはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つ

 ものを書くのが自分の目的だ、と言っています。 

 

  (前掲書 「読者に」から PP.3-5、14)




マキアヴェッリの名言をご覧ください。


第1部 君主編



 側近に誰を選ぶかは、君主にとって軽々しく考えて

 よいことではまったくない。

 君主が思慮深いかそうでないかによって、優れた

 人材が登用されることになったり、無能な側近に

 囲まれることになったりするからである。


 側近が有能であり誠実であれば、それを選んだ

 君主は賢明な人と言うことができよう。

 なぜなら、人間というものを熟知しており、その人間

 の能力を活用することを知っているという証拠だから

 である。


                    ―― 『君主論』 ――

                              (P.96)

         (019-1-0-000-496)
 



 


 人間の頭脳には3つの種類があることを、覚えておくべき

 であろう。

 第1の頭脳は、自力で理解できるもの。

 第2のそれは、他者が理解したことを鑑別できるたぐい

 のもの。

 第3は、自力でも理解できず、かといって他者が理解した

 ものへの鑑別能力もないもの。

 第1の頭脳が最も優れ、第2の頭脳がそれにつづき、

 第3の頭脳は、無能の能を脳に代えてもかまわないほど

 と言ってよいだろう。

 だが、第1の脳が最も少ないのが現実である以上、

 側近の選択の良否は、人の上に立つ者にとって重要

 このうえもないことになるのである。

  
                    ―― 『君主論』 ――

                               (PP.96-97)                                          
                             
          (020-1-0-000-497)
 






 結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである。

 思慮に長[た]け力量の優れた人物ならば、手中にした

 権力も、それを活用した後に誰かに譲り渡すようなこと

 はしないにちがいない。

 なぜなら、人間というものは善よりは悪に染まりがちな

 もので、前任者が高い目的意識をもって使った権力も、

 後継者となると、私利私欲を満足させる手段に使って

 しまうことが多いからである。

 
 とはいえ、いかに一人の力量豊かな人物が全精力を

 投入したところで、その投入のたまものを以後も維持

 していくのは、その他多勢の人間の協力によるので

 ある。

 そして、この最後のことなしには、国家の存続は保証

 されえない。


                    ―― 『政略論』 ――

                              (PP.103-104)
                              
          (021-1-0-000-498)
 








ポイント

マキアヴェッリは人間観察に長けた、ひとかどの人物
であったことがよく理解できます。


側近、参謀と言い換えてもよいかもしれませんが、
側近に誰を選ぶか、はとても大切なことです。


よくありがちなことは、yes-man(yes-personと言うべき
でしょうか)を側近に選ぶことです。


君主(リーダー)の考えや指示を忠実に守り、遂行する
人物です。たとえ面従腹背(表向きは従っているが、
腹の中では背いている)であってもいいと割り切って、
君主が側近に選ぶことがあります。


タイトロープを渡っているような不安定きわまりない状況
を生み出します。いつ裏切られてもおかしくないのです。


側近に「ご意見番」を置くことができるかどうかが、
鍵を握ると思います。


「裸の王様」になってはいけません。


ですが、自分より優秀な人物を側近に置くことをよしと
しないリーダーが多いのは事実です。


自分の地位が危うくなると考えてしまうからです。
自信の無さの裏返しですね。


後継者選びも同じ文脈で捉えることができます。
自分がリーダーであった時、後継者よりも上であった
ことを示したいがために、自分より劣る人物を後継者
に指名するのです。


そのため、会社や組織が弱体化してしまうケースは、
少なくありません。






キーセンテンス

結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである。

これはとても有名な言葉です。
マキアヴェッリの『君主論』の中で、最も有名な言葉です。


「目的は手段を正当化する」というセンテンスで語られる
ことが多いですね!


目的を果たすためにはどんな手段を使ってもよい、
と捉えられがちですが、そうではなくて、正しい結果が
得られるように、あらゆる手段を講じるべきである、
と考えました。


「全体最適を考えろ」「大局的見地に立て」と捉え直すと、
この言葉の真意が理解できるのではないか、と思います。







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